「ふたりがひとつだったなら」
2006-11-21
「世界が全部自分だったらいいのに」って思うことがある。「人それぞれが素敵」だなんて絶対思わないし、思いたくもない。
だって、ほとんどの怒りや憎しみや悲しみは
「相手が『自分』じゃないから」起こるんだもの。
自分に対して文句言う奴はムカつくし、自分を泣かせる奴もいる。
もしも相手が自分だったならば、
自分に対してムカつくようなことは言わないし、
自分を悲しませるような事はしない。
誰かに対して少しでも憤りを感じたらそれはもうその時点で
「『人それぞれ』に負けている」ことになる。
「人それぞれが素敵」と認められるならば
どんな悲しい出来事も、どんな憎らしい事件も
「その人にとっての『当たり前』」として流せるはず。
「僕だったらそんなことはしないけど、その人は殺したかったんだもんね。仕方ないよね。」
なんて言って許せるほどできちゃいないし、
そんな人間になりたいとも思わない。
自分ならやらない事だから腹が立つんだ。
理解できないから許せないんだ。
大切な人の痛みを分かってやれないのも同じ。
自分じゃないから、助けてあげられないんだ。
だから、「人それぞれが素敵」だなんて絶対に言いたくない。
「ふたりがひとつだったなら 同じ鞄を背負えただろう
ふたりがひとつだったなら 別れの日など来ないだろう」
「理屈っぽい」と言われることがある。
確かに僕は、いろいろと理屈を並べる。
そう思わない人から見たら、
きっと「理屈で感情は語れないよ」なんて思うと思う。
でも、そこにあるのは確かな「感情」。
どうしようもない感情を伝えるために
言葉を探して探して必死にそれらを並べているのに、
それを「ただの理屈」と取られるのは納得が行かない。
何よりも大切なのは「自分の気持ち」。
だからこそありったけの言葉を使って話しているのに。
僕からしてみれば、
「理屈で説き伏せられる感情」のほうが
よっぽど「理屈に負けている」と思う。
そんなことを考えてると、どんどん理不尽に思えてくる。
「考えることなんて何の役にも立たないなぁ」なんて
どうでもよくなったりして。
「理屈ばかり こねまわして すっかり冷めた僕の胸が
たった一度の微笑みで こんなに見事に燃えるとは」
BUMP OF CHICKENのニューシングル「涙のふるさと」。
そのカップリング、「真っ赤な空を見ただろうか」を聴くたびに泣けてくる。
その歌詞の中から、「同じような葛藤があったこと」が
確かに伝わってくるんです。
「君と僕は違う」ということ。
「理論は感情を超えない」ということ。
そんな当たり前なことを叫ぶのは、
そんな当たり前なことにこそ「本当の苦しさ」が潜んでいるからなのでしょう。
この詩の歌詞から感じる「同じ空気」に安らぎを感じるのは、
いつも「違う空気」に滅入っているから。
そう思うと、人それぞれも「悪くはない」ね。
「ふたりがひとつだったなら 出会う日など来なかっただろう」
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